怒濤の本場所開催
紙相撲と出会って30年。私が錦谷になるまでの思い出を書いていこうと思います。(連載第3回)
こうして「トントン紙相撲」を手に入れた私は、猛烈な勢いで力士をスカウトし始めました。また、学校に「トントン紙相撲」を持っていき、仲間の開拓に努めました。(その過程で力士の規格の書いてあるページの一部が切り取られて行方不明になる事件も起きました。)そして、物好きな3人が集まり、勇躍本場所を開催することとなりました。
しかし、その方法は実にいいかげんなものでした。たとえば、第28回本場所星取表(※)を見ると、東西に11人ずつ力士を振り分け、東方力士は西方力士とだけ対戦するという方式になっています。これは、当時1日に1場所こなすということもあったため、割を考える時間が惜しかったというのが理由と考えられます。また、横綱も負け越すと陥落したりとか、荒唐無稽なことをしておりました。
「トントン紙相撲」には、なるべく大相撲を真似てやるようにとか、横綱は実力をきちんと見極めるまで作らないとか、いろいろ心構えが書かれていたわけですが、そういうことは一切無視していたわけです。一方では、「稽古の鬼 若波親方が鯉昇の手を短くして強くした」という記事に触発されて、力士の手を一様に短くしたりしていました。「粋」が分かるには幼かったということでしょうが、全く恥ずかしい限りです。
それでも、番付面では次第に大相撲らしい運営に移っていき、また、相撲内容の向上のため、力士の手の長さを新規スカウト力士からは通常の長さに戻しました。
※ 星取表を鉛筆で書いては消すということを繰り返していたため、第27回以前の記録はありません。28回でこの体たらくですから、当初の様子は推して知るべしです。
(つづく)
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