2006年2月 2日 (木)

怒濤の本場所開催

 紙相撲と出会って30年。私が錦谷になるまでの思い出を書いていこうと思います。(連載第3回) 

 こうして「トントン紙相撲」を手に入れた私は、猛烈な勢いで力士をスカウトし始めました。また、学校に「トントン紙相撲」を持っていき、仲間の開拓に努めました。(その過程で力士の規格の書いてあるページの一部が切り取られて行方不明になる事件も起きました。)そして、物好きな3人が集まり、勇躍本場所を開催することとなりました。
 しかし、その方法は実にいいかげんなものでした。たとえば、第28回本場所星取表(※)を見ると、東西に11人ずつ力士を振り分け、東方力士は西方力士とだけ対戦するという方式になっています。これは、当時1日に1場所こなすということもあったため、割を考える時間が惜しかったというのが理由と考えられます。また、横綱も負け越すと陥落したりとか、荒唐無稽なことをしておりました。
 「トントン紙相撲」には、なるべく大相撲を真似てやるようにとか、横綱は実力をきちんと見極めるまで作らないとか、いろいろ心構えが書かれていたわけですが、そういうことは一切無視していたわけです。一方では、「稽古の鬼 若波親方が鯉昇の手を短くして強くした」という記事に触発されて、力士の手を一様に短くしたりしていました。「粋」が分かるには幼かったということでしょうが、全く恥ずかしい限りです。
 それでも、番付面では次第に大相撲らしい運営に移っていき、また、相撲内容の向上のため、力士の手の長さを新規スカウト力士からは通常の長さに戻しました。

※ 星取表を鉛筆で書いては消すということを繰り返していたため、第27回以前の記録はありません。28回でこの体たらくですから、当初の様子は推して知るべしです。

(つづく)

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2006年1月26日 (木)

「トントン紙相撲」

 紙相撲と出会って30年。私が錦谷になるまでの思い出を書いていこうと思います。(連載第2回)

 それから何ヶ月か過ぎたある日私の紙相撲人生に大きなポイントとなる出来事が起こりました。「トントン紙相撲」という本との出会いです。
 その日、私は何気なく本屋に入りました。たしか、「よく飛ぶ紙飛行機」という本を見に行ったのだと思います。(高くて買えないので、時々ながめていた。ちなみに、紙飛行機といっても折り紙ではなく、いわゆるペーパーグライダーというもの。うまく上昇気流に乗ると数分間も飛び続けることがあります。これはこれで面白いが、それはさておき)
 工作本コーナーに向かった私の目に「トントン紙相撲」という文字が飛び込んできました。瞬間、私の心にテレビで見た熱戦の様子が浮かびました。「これはもしかして...」どきどきしながら棚に手を伸ばしました。手に取って表紙を見ると、そこには左四つに組み合う力士の姿が。やっぱりそうだ。さらにページをめくると徳川さんの写真、次々ページをめくっていくと、何と力士や土俵の型紙まで付いているではありませんか。
 おぉ!!私はもう買わずにはいられない衝動に駆られました。値段を見ると750円でした。当時、小遣い1日50円の私にとって安い買い物ではありません。しかし、そんなことを言っている場合ではありません。ぐずぐずしていると誰か別の人が買ってしまうかもしれないのです。私は注意深く周囲を見回し、平積みの本の底に「トントン紙相撲」を隠すと、家に向かって駆け出しました。(今から考えると、万引き少年のような非常に怪しい行動である。)そして、なけなしの750円をつかむと本屋にトンボ帰り。平積みの底から隠していた「トントン紙相撲」を発掘し、ようやく手に入れることができたのです。
(つづく)

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2006年1月23日 (月)

紙相撲と出会う

 紙相撲と出会って30年。私が錦谷になるまでの思い出を書いていこうと思います。(連載第1回)

 私が初めて紙相撲と出会ったのは、小学校5、6年生の頃のことです。「本物は誰だ」というテレビ番組に徳川さんが出演したのです。この番組は、本物1人+ニセ2人が意味ありげにマントを着て登場し、回答者(タレント)がその3人に色々質問をして、本物を当てるというものです。
 徳川さんが出たときには、「横綱の名前は何ですか」とか質問が出て、藤村俊二(出てたっけか??)が「ワカジジとか?」とボケをかましていたような記憶があります。(当時「若獅子」という力士がいたので、それに引っかけたダジャレ)

 さて、いよいよ紙相撲披露ということになりました。まず画面に現れた国技館に驚き、そして、呼出、行司が登場し、大相撲とそっくりに進行していく様子に感嘆。しだいに紙相撲ワールドに引き込まれていきました。土俵に上がったのは、照の花と三津知、横綱同士の対戦です。その姿を見てまたまたビックリ。何と上手と下手に分かれていて、左四つに組んでいるではありませんか。
 「おぉ、これは自分の知っている紙相撲とは違う...」それまで紙相撲といえば、左右対称で、技らしい技もなく、たまにお互いに見当違いの方向に動いて勝手にバッタリと倒れたりする、とても相撲とは言えないものしか知らなかったのです。(先日学生紙相撲を開催したアスパムでも、「こんな紙相撲は初めて見た」という人がほとんどでした。)
 徳川さんが「この力士は糖尿病を克服して...」とか解説を始める頃には、「紙力士が糖尿病なんかになるんかいな」とツッコミを入れるのも忘れて、しだいに緊張感が高まっている自分がいました。
 そして立ち合い、照の花が左を差して一気に正面土俵に寄り立てます。しかし、三津知も土俵際、下がりながら引き落とし(突き落とし)を見せ、照の花バッタリ。この間、たぶん5秒もなかったと思いますが、そこに凝縮された攻防に引き込まれていました。もともと青森という土地柄もあってか相撲は好きで、県出身の陸奥嵐、二子岳、貴ノ花など足腰の粘りで見せる力士を贔屓として、それなりに目の肥えた相撲少年であったと思いますが、大相撲に引けを取らない相撲内容に興奮していました。
 さて、勝負の方は、照の花が落ちるのと三津知が出るのとどちらが早いかということになり、柴田錬三郎(だったと思う)が「同体じゃないか?」と言って、取り直しになりました。取り直しの一番は、一転、土俵中央で激しい押し合いになり、照の花が三津知を押し倒しました
 「すごい。これは本当の紙"相撲"だ!!この一番の印象は、私の胸に強く刻み込まれました。そして、次なる出会いにつながっていくのです。(つづく) 

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